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21 病気をビョ-キとカタカナで表記するのが流行った時代があった。

この場合、ビョーキとは本格的な身體疾患ではなくて、常識では理解できない行動や趣味のことを指している。 「彼のあのワインへののめりこみ方、ほとんどビョーキだよね」などと使う。それほど突出している、特別である、という若干の尊敬も含まれていたと思う。今では「病気なんだよ」と言ったとき、かつてのビョーキを連想する人はまずいない。若者であっても、「どこか悪いんですか」と心配してくれるだろう。 「ビョーキだから」と軽く茶化すことで病気が持っている深刻さを少しでも薄めよう、とする人はいなくなったのだろうか。健康幻想が広まる中、とにかく病気は悪くてネガティブなもの、と言う考えが広まっているのかもしれない。或いは、ビョーキと言われてまで個性的でいるのはいや、と思う若者が増えているとも考えられる。(香山リカ『若者の法則』岩波新書による)

【問い】この文中での「ビョーキ」とは、どういう意味か。

1. 常識では理解できない行動や趣味を意味する言葉

2. 突出している、特別であるという尊敬を意味する言葉

3. 病気が持っている深刻さを薄めたいときに使う言葉

4. 悪くてネガティブなものすべてを意味する言葉

 

22 攜帯なんか、嫌いだ、と私は思う。いったいぜんたい、誰がこんな不便なものを発明したのだろう。

どんな場所、どんな狀況にあっても、かなりな高率で受けることのできる電話なんて、戀愛―うまくいっている戀愛も、うまくいっていない戀愛も -にとっては、害悪以外のなにものでもない。ヒトミちゃん、なに悲観的なお婆さんみたいなこと言ってるの、とマサヨさんに言われそうなことを、私はひがないちにち、考えている。タケオはもう五日も電話に出てくれない。ここ一日二日は、わたしはむしろ、タケオが電話に出てしまったらどうしようかという恐怖心をいだいている。 (川上弘美「ワンピース」『新潮』第101卷第6號新潮社による)

【問い】「私」はなぜ攜帯を「不便なもの」だと思っているのか。

1. どんな場所どんな狀況にあっても受けることができるから

2. うまくいっている戀愛がうまくいかなくなるから

3. いつも戀人から電話があるかどうか気にしてしまうから

4. 戀人が電話に出ないと悪いことを考えてしまうから
 

23 學校に通うことの意味で一番大切なのは、けっして知識を得ることではなく、知恵を得ることだと思います。

どういう知恵かと言うと、人生に必要と考えられる知恵です。その中でも一番大切なのが勉強の知恵、學習の知恵なのです。新しい情報をどうやって手に入れるのか、新しいことをどうやって學ぶのか、今までできなかったことがどうやったらできるようになるのか、その過程を學校に通うことによって覚えて、変化していく世界の中で日々応用できるようにする。これが勉強に知恵です。知識と言うものは変るのです。地理を考えたとしたら、いま70歳のおじいさんが50年前に學んだ地理といまの地理はさま変わりしています。以前、たくさんの油田があったところからはもう石油が出なくなったり、國が解體したり、逆に合併したり、世界の狀況はどんどん変っていきます。日本語だって変​​化していて、當用漢字が常用漢字になったり、漢字が略字になったり、あまり使われなくなってかわりにひらがなを用いたり、外來語がたくさん入ったりしています。 50年前に死んだ人が突然この世に再生してきたら、一日目は日本語でニュースを聞いても分からないことだらけだと思います。そういう意味では、
直接の知識ではなく、勉強の知恵が一番大切です(ピーター・フランクル『ピーター流外國語習得術』岩波ジュニア新書による)

【問い】「直接の知識ではなく、勉強の知恵が一番大切です。」とあるが、どういう意味か。

1. 色々なことを覚えるだけでなく、変化していく世界の中で応用できる知恵が大切だ。

2. 世界はすぐに変化していくが、學校で得た知識は役に立つので、知識は大切だ。

3. 學校で得た知恵は何年たっても変わらないので、知恵を得ることが大切だ。

4. 日本語でニュースを聞いていても、分からないので、よく勉強することが大切だ。
 

24 日本と​​ほかのアジアの國々との「距離感」が変容しているのではないか、しばしばそう思うことがある。

特に二十代・三十代の日本人と話していると、アジアに出かけることと、日本國內の見知らぬ土地へ行くこととの感覚的な違いが,殆ど見出せない。私は、アジアで出會う日本人たちに必ずカルチャー・ショックについて尋ねることにしていたが、「一番びっくりしたのは、カルチャー・ショックが全然なかったと言うことなんです」といった答えの多さに、かえってこちらのほうがカルチャー.ショックに似たものを感じるほどだった。韓國や台灣に住む日本人は、冗談めかしてこんなことを言う。 「ここから日本までの飛行時間よりも、成田空港から実家までの時間のほうがよっほどかかりますよ」 こうした距離感の短縮は、文化的距離感の「短縮」
に直接結びついている。私見だが、徒歩や船での移動しか知らない歴史をごく最近まで生きてきた人類には、移動の速度の急激な変化に伴う感覚のずれが、無自覚のうちに生じているのではないか。 (野村進『アジア定住』講談社+a文庫による)

【問い】文化的距離感の「短縮」とあるが、どういう意味か。

1. 多くの若い日本人にとってアジアに出かけることと、日本國內の見知らぬ土地へ行くこととの感覚的な違いがないということ

2. 韓國や台灣から日本までの飛行時間よりも、成田空港から実家までの時間のほうがよっほど時間がかかるということ

3. アジアに出かけた若者が、カルチャー・ショックが全然なかったことに筆者がびっくりしているということ

4. アジアで出會う日本人たちに対して筆者がカルチャー・ショックに似たものを感じるということ

 

25 數年前のことです。私がちょうど60歳を超えたころのことでした。

近所の公園でたまたま出會った女の子と目が合い、思わずニコッと笑いかけてしまいました。すると、その子の顔が一度に花開いたようにほころび、これ以上ない微笑みが返ってきたのです。その時の至福の感情を何とあらわしたらよいでしょうか。そもそも私は、子供と言うものがあまり好きではありませんでした。どちらかと言うと嫌いな方だったといってもいいでしょう。ときに意味不明なことをいう子供、ときに殘酷なことをしたりいったりする子供、…それが何となくうっとうしかったのです。それで子供とみればいつの間にか敬遠していたのですが、この公園での一件いらい、( ① )ようになってしまったのです。 (山折哲雄『日本人の宗教感覚』 NHK人間大學1996年4~6月 月期による)

【問い】( ① )には、次のどの文が入るか。

1. 私がこどもをみ付けるとニコッと微笑みかけ、その至福の瞬間を心待ちする 

2. 私がこどもをみつけると目をそらし、できるだけかかわりを持たない

3. 私が子供をみつけるとにらみつけ。嫌いだという感情をはっきり見せる

4. 私が子供をみつけるとニコッと笑いかけ、子供を笑わせようとする
 

26 京都市に本部を置く(財)日本漢字能力検定協會が実施している漢字の書き取り検定試験、いわゆる「漢検」が大変な人気のようだ。

つい數年前までは、へぇ、そんな試験があるのか 、小學校の國語の授業じゃあるまいし、いったいどんな奇特な人が、お金を払ってまで、それも休みの日に指定された會場までわざわざ出かけて漢字の書き取り試験なんかを受けるんだろう…という印象で私はとらえていたのだが、しかしその「奇特な人」が、さがせば身の回りにもずいぶんたくさんいた。つい先日のことだが、それほど奇特とも思えないわが息子(小六)もかよっている塾でなかば強制的にこの試験を受けさせられ、それでも晴れて六級とやらの免狀をいただいてきた。受験前はなにかとぶつぶつ言っていた息子だが、免狀をもらえるのは子供でもやはり嬉しいことなのだろう、( ① )。 (安辻哲次『漢字道楽』講談社による)

【問い】( ① )には、次のどの文が入るか。

1. 次も強制的に受けさせられるとおもっている

2. もう二度と受けたくないと言っている

3. 次は五級をめざすと頑張っている

4. 奇特な人になれと言って喜んでいた

27 片山恭一さんのベストセラー「世界の中心で、愛を叫ぶ」に作品の主題にかかわる戀人同士の會話がある。

「どっちが幸福なのかしらね。好きな人と一緒に暮らすことと、別な人と暮らしながら好きな人のことを思い続けることと」と女。 「そりゃあ一緒に暮らす方だろう」と男。 「でも、一緒に居ると、その人の嫌なところも目にするじゃない。つまらないことで喧嘩したり。そういうことが毎日積み重なっていくと…」 燈檯職員の夫婦を描いた映畫「喜びも悲しみも歳歳月」のモデルになった夫妻を、8年前に福島県いわき市の自宅に訪ねたことがある。約束の時間に著き、呼び鈴を鳴らそうとして玄関前で立ちすくんでしまった。中から男女の怒鳴り聲が聞こえてきたからである。夫婦愛の美談の取材が始まったのだが。夫妻は映畫の物語同様に寄り添い、妻が先に87歳で、夫は92歳でなくなられた。冒頭の問いの答えは明らかだろう。増殖中の悲戀小説の素材にはなりにくいけれども。
      (「憂楽帳」2004年11月16日付き毎日新聞東京版夕刊による)

【問い】「冒頭の問いの答えは明らかだろう。」とあるが、戀人や夫婦の関係について、筆者はこの後どのように意見を展開すると考えられるか。

1. 毎日のつまらない喧嘩が積み重なると相手を嫌いになるものだ。

2. 喧嘩をしても他人の前で仲良く見せられればそれでいいのだ。

3. 相手の嫌いなところもいいところも受け入れるのが本當の関係だ。

4. 相手と喧嘩しなくてもいいようの別れて暮らすのもいい方法だ。
 

28 學生時代には時間が有り餘ってどう暇をつぶそうかと悩むこともあるでしょうから、時間は有り餘っていると思う人もいるかもしれません。

でも人生80年とすると、一生は70萬時間しかないと言うことになります。天地悠久の時間の流れの中で、この世に生を受けてからの70萬時間というのは、ほんの一瞬のことでしょう。その限られた70萬時間を使ってどういう人生を全うするかということ、これは私たち一人一人にとって大問題です。私たちは、この70萬時間の使い方をめぐって、人生いかに生くべきかと悩むのです。なぜ悩むのでしょうか。それは私たちに無限の生命が與えられていないからです。もし私たちが永遠の青春を楽しむことができるのであれば、人生は何度でもやり直しがききますので、いかに生くべきかといったことは問題にもならないでしょう。思い通り好きなように生きて、間違えればやり直せばよいということになります。しかし、( ① )。 (林敏彥『ハート&マインド経済學入門』有斐閣による)

【問い】( ① )には、次のどの文が入るか。

1. 現実には、思い通り好きなように生きるだけのお金を、誰もが持っているわけではありません

2. 現実には人は病気になったり、事故で早く死んでしまうこともあるわけです。短い人生を自由に生きたいのは當然です

3. 現実には時間は限られていますので、一度しかない人生、大切に考えなければ、と言うことになるわけです

4. 現実にはやり直すことはできず、失敗ばかりつづくのが多くの人にとっての人生だと言えるでしょう
 

29 ドイツの精神分析醫ミッチャ-リッヒは、現代人が抑圧しているのは、もはや“性”ではなくて、自分たちの深層に潛む“攻撃性”である、というが、たしかに現代人の不安は、自分の意図しない何か(その「何」かはただ自分が他人と共存することや、生存することそれ自體である場合さえある)が自分の知らぬ間に、いつ、相手や他人を傷つけてしまうか、よいう不安であり、自分の意識しない(抑圧された)攻撃性に対する不安なのである。 (小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』中央公論者による)

【問い】筆者は「現代人の不安」は何だと言っているか。

1. 抑圧された性 2. 他人との共存 3. 抑圧された攻撃性 4. 生存すること
 

30 「話しても分からない」と言うことを大學で痛感した例があります。

イギリスのBBC放送が製作した、ある夫婦の妊娠から出産までを詳細に追ったドキュメンタリー番組を、北理大學薬部の學生に見せたときのことです。薬學部というのは、女子が6割強と、女子の方が多い。そういう場で、この番組の感想を學生に求めた結果が、非常に面白かった。男子學生と女子學生とで、はっきり異なる反応が出たのです。ビデオを見た女子學生のほとんどは「大変勉強になりました。新しい発見がたくさんありました」という感想でした。一方、それに対して、男子學生は皆一様に「こんなことは既に保健の授業で知っているようなことばかりだ」という答え。同じものを見ても正反対といってもよいくらいの違いが出てきたのです。これは一體どういうことなのでしょうか。同じ大學の同じ學部ですから、少なくとも偏差値的な知的レベルに男女差は無い。だとしたら、どこからこの違いか生じるのか。その答えは、與えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。要するに、男と言うものは「出産」ということについて実感を持ちたくない。だから同じビデオを見ても、自分が知りたくないことには( ① )ということです。つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮斷してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。 (養老孟司『バカの壁』新潮選書による)

【問い】( ① )には、次のどの文が入るか。

1. 女子のような感動が出來なかった、むしろ退屈なビデオだったと思った

2. 女子のような発見が出來なかった、むしろ積極的に発見をしようとしなかった

3. 女子のような勉強は出來なかった、むしろ男子だけで授業を聞いているほうがいい

4. 女子のような実感は出來なかった、むしろ出産だからと真剣にみていなかった


31 十數年の間、音沙汰のなかった知り合いが、突然、電話をかけて來たりすると、一瞬、私は身構える。

その電話が、単に、懐かしいからとか、勵ましてあげたいからという心優しい単純さによってかけられたのではないことが解ってしまうからだ。ある時に、私に出來る筈も無い仕事の依頼であったり、またある時は、何かの會を発足させるために名前を貸してくれと言う申し出であったりする。そのたびに、私は困惑する。私は十二年間、小説を書いて生計を立てている。私に出來るのは、原稿用紙に字を書き綴ることだけだが、それは、ある種の人々に誤解を與えている。書く人は話も出來ると思っているのか、講演などを頼んだりする。私の小説にしか意味を持たない名前が、有効活用出來ると思う人もいるのを知ると、気恥ずかしさのあまりに頬が熱くなって來る。そういう人々は、たいてい、禦活躍、拝見していますよ、と言うことになっている。拝見ったって、私の本を読んでいるふうでもないし、だいたいなにを見るのだろう。本屋に並んでいる私の本の表紙でも見るのだろうか。本當にそれを伝えたいのなら、十二年、間を置くことも無い。と、思っていると、別の用件を切り出す。やっぱりね、とこちらが思っているのには気がつかないようだ。しかし、
こういう解りやすい理由で電話をかけて來る人々には、こちらも解りやすい対処の仕様がある。
       (山田詠美『4Uヨンユー』幻冬舎による)

【問い】「こういう解りやすい理由で電話をかけて來る人々には、こちらも解りやすい対処の仕様がある。」とあるが、どのように対処するのか。
1. 名前を貸してあげる

2. 講演を引き受ける

3. 解りやすく返事をする

4. 頼まれたことを斷る


32 少年がその男と出會ったのは春の暖かい日だった。

都會に住む少年は、待ちかねた春休みの最初の日、仲のいい二人の友達とダム湖に釣りにやってきたのだ。そのダム湖には大きなブラックバスと、ブルーギルという力の強い外國産の魚がいた。少年達は期待に胸をふくらませ、靜かな湖面に長い竿を振った。男はいつものように、犬をカヌーに乗せて、湖をわたってきた。サムライのような口髭をはやし、カヌーの上で背中をぴんとのばして、遠くから少年たちの竿の先をこし眺めていた。 「どうだ。釣れるか?」 やがて男が言った。 「まだだめだ。はじめたばかりだから・・・ 」 「一回りしてくる。その間もし何か釣れていたら、もっといいポイントを教えてあげよう」 男はなんだかすこし不思議なことを言って湖の沖に消えていった。男が一回りしてくる間に、少年達は二匹のブラックバスを釣った。小形だったが、いかにも肉食魚らしい獰猛な引きだった。少年達が二匹の獲物を誇らしげに見せたので、男は嬉しそうに笑った。 「そうか。君たちはここにやってくる大人の釣り師たちよりも腕がいいぞ。そこはこのあたりで一番釣れないところなんだ。それじゃあもっと沢山釣れるところへ案內してやろう。このフネにのりな」男の乗っているカナヂィアン・カヌーは大人五人らくに乗れるものだった。ともにすわっている犬が立ち上がり「うっ」とひくい聲で唸った。 「しずかにしてろ」 男が言った。犬はまた腹這いにすわり、黙って用心深く少年たちを見つめた。 「この犬は大丈夫だ。あとで釣ったブラックバスを一匹プレゼントしてくれれば大の仲よしになれるよ」 少年たちはお互いに顔を見合わせ、それから( ① )。 (椎名誠『少年の夏』新潮文庫による)

【問い】少年たちはどうするか。 ( ① )に入る文を選べ。

1. 釣ったブラックバスを犬にやった

2. 犬のかわりにカヌーに乗り込んだ

3. こわごわとカヌーに乗り込んだ

4. 魚を置いて逃げていってしまった

 

33 今朝、國の戀人から夏休みに日本に遊びに來るという連絡をもらった。

戀人は僕が日本に來てからずっとさびしがっていた。だから、今日の聲はいつになく弾んでいた。僕も學校で苦しいときや嫌なことがあった時は、戀人からの電話やメールで勵ましてもらったりしていた。私にしても1年ぶりの再會がうれしくないはずはない。自然に顔もほころぶ。だが、學校ではいつもと同じように、普通にしていようと思った。表面には、まじめな顔をしていたつもりだったが、クラスメートに「今日は何かあるの?」と聞かれた。やはり、気持ちというのは隠しても、つい顔に出てしまうものなんだな。

【問い】「僕」は、今日、學校でどんな顔をしていたのか。

1. さびしい顔 2. 苦しくて嫌な顔 3. うれしい顔 4. まじめな顔

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